ラムネ
たかが説明会とは言え、重く圧し掛かる将来への不安は、帰路の足取りを重くさせ、精神的に随分と脆くさせた。ただやりたい事はたくさんある。自転車で何処まで行けるか、とか大量に本を読む、とか食べ放題でケーキだけを食べる、とかグルメ店巡り、とか。・・・胃と腸の間辺から可愛らしくない音が耳に届く。
「はあーあ・・・。」
錆びた音を奏でるブランコに、揺られる度に出入りする木陰の隙間から覗く青空に向かって、声に出して溜め息をついた。別に受験に不安はない。高望みしない限りは受かると思ってる。今になって気付いたんだ・・・私が何かを忘れていた事。
「帰ろ・・・。」
急にその場に放り出された様に、蝉が五月蠅かったのに気がついて、ブランコを飛び下りた。干ばつした大地に綺麗な足音と錆びた音が響く。昔から何も変わっていないけど、時が経っている事だけはよく解る。振り返ると、剥がれたペンキが目に付いた。ブランコの隅に置いた無駄に重いリュックをこれまた重い体にのろのろと背負った。
なんだか頭の中は「夢の中へ」が延々とリピートされたままだ。今誰かが踊りに誘ってくれたら、どれだけ今を忘れられるんだろう。・・・コンビニでも寄ろうか、マックかファッキンにでも入ろうか、それとも本当に何処かへ・・・。
数メートル先が僅かに空間がゆらりと歪んだ。
コンクリートで作られたこの大都会で、目眩を起こす事もあれば、蜃気楼を見る事もあるだろう。ただ幻覚を見るには早過ぎるんじゃないだろうか。足を止めて、ゆらゆらと歪む白い蒸気を眺めた。未だに揺らめくその影に考える間も無く素早く駆け出した。段々とスニーカーのリズムが速くなる。
丸まった背中に思いっ切りリュックをぶつけた。
遠心力の掛かった資料でいっぱいの重いリュックと、筋肉がついてガッチリとしている背中との衝突は、辺りどころが悪かったのかゴツンと痛そうな鈍い音がした。眉間に皺を作って 「いってーなぁ!」 と叫びそうな顔を見る寸前に、今更人違いだったらどうしよう、なんて思う。また、やってしまった・・・。相手の目を見てから、不安で見開いた目が更に見開いた。
「何だよ、かよ。」
3年前まで中途半端な音程だったその声は、今ではしっかりとしたものになっていて、身長なんか遥かに私を越えている。その差の優越感で私の頭に大きくなったその手を乗せて嫌な微笑を浮かべる。
「お前は変わらねーな。ホント、後先考えずに行動するのやめろよな。」
懐かしいハズの笑顔も、なんだか切なげに見えるのは、彼の所為なのか、私の所為なのか・・・。
「亮こそ変わらないじゃん!」
1つ嘘をついた。
頭上の手を思い切り払ったりなんかしないで、変わったね、そう言えたらどれだけ軽くなれるんだろう。何処へでも飛んで行ける程軽くなれるんだろうか。何時までも踊っていられる程笑っていられるんだろうか。
「いつまでいられるの?」
今まで部活だから、課題があるから、って全然帰ってきやしない上に、性に合わない、なんて格好つけて連絡も寄越さない。こんなに心配してるのに・・・。男女の差がどーの、って言うより人間としてどうなのよ!
「あぁー夕方には帰る。別に帰省した訳じゃねーし。」
「はぁ?日帰り?親に黙って?何しに来たわけ?」
歩き出した彼の横へ並ぶと、何だか置いて行かれそうな程の速さで景色がすっ飛んで行く。ダルそうに両手をジャージのポケットに突っ込んで、空だけを見つめて、足下なんてまるで見ちゃいない。肩から掛る軽そうで重そうなスポーツバッグを掛け直すと背筋が伸びて、大きな背中に筋肉が浮び上った。早くも1歩分の距離が出来る。
「見たいもんが、あんだよ。」
公園の角を曲がると、逆光になって、振り返ったであろう彼の表情は、読み取れなかった。だけど、聞き慣れない声なのにその表情は、昔から変わっていなくて、その背景に何かあった事がすぐに解ってしまった。試合の敗因が自分にあった時とか、風邪や怪我を隠そうとしてる時とか、言いたくない事柄に触れると、絶対に言葉の何処かを区切る癖。・・・だから、その目的語を私は訊かない。きっと、訊いたって教えてくれない様な事だから。
「ふーん。あ、ねぇ、ラムネ飲まない? 商店街で売ってたから買っちゃったんだけど、重くってさー。」
ファスナーを開けて、2本のラムネを取り出して見せる。亮の顔がシュワシュワと泡となって、歪んでは消える。人魚姫の割には随分と無愛想だ。
「何だよ、訊かねーのかよ。」
「・・・訊いて欲しかった?」
顔の前に掲げていたラムネを降ろすと、その反動で小さな泡が弾けたのが見えた。視界に映っていなくても。
本当は知ってるんだ。選抜の選考から洩れたという事。知ってるんだ。・・・でも、知ったかぶりでしかなかった。この沈黙がどういう事を示すのか、よく伝わって来る。空を見たまま亮を追い越した。
「対抗心だけじゃ失くしちゃう時もある。張合うだけじゃ忘れちゃう時もある。と思うよ、私はね。」
振り返って、1本のラムネを放り投げた。目的語なんて言葉にしてやらない。綺麗な放物線を描いて、相手の顔の横目掛けて飛んでいく。そんな簡単に上手くいきやしない。
「ちゃんと投げれねーのか?」
逆光なのに、サッカー部のくせに、楽々と片手で捕えた。
「悪かったわね。でも、こっちに向けて開けないでよ?」
「誰かさんと違って、俺はちゃんと後先考えるんでね。」
聞こえる様に大きな舌打ちをした。
踵を返して、ラムネの容器が膨らんでいないのを確認しておきながらも慎重にビー玉を押し開けた。泡が弾けるのを収まってから口に含むと、温くもパチパチと炭酸が広がる。甘くなった味がこの暑さを更に暑くさせる様だ。なのに、何だか胸にまで染みてくる。何でかな・・・。
追いつかれない内に歩き出してしまおう、そう思ったのに、目の端にはまだ開けられていない容器の中で激しく泡が踊るのがチラつく。体が暑いのは、ただこの天気だけの所為なら良いのに。
「ってオイ!来ねーのかよ!」
「私の家こっちの道だもん。小学校になんて今更行きません。」
「解ってんなら少しくらい付合えっ!」
「解ったよ!行きますよ!行けば良いんでしょ!」
離れていく大きくなった背中に、もうランドセルを背負った姿なんて想像出来はしなかった。どうして、私たち張合っちゃうのかな。失くしたもの、忘れたもの、少しは思い出せるのかな・・・。
「ねぇ、・・・。」
そっと2文字の言葉を呟いた。
亮って聴覚良かったかな?、なんて訊いた事もない答えを思い出そうとした。
「有難うな。」
ラムネを口いっぱいに含んだ。予想外に咳込んだら涙も一緒に誤魔化せた。膨らむ容器が破裂する前に飲み込んでしまおうと思ったのに。そんな簡単に上手くいきやしない。1つの嘘は嘘のままにしておこう。何に対しての有難うなのか解らないのだから・・・。
2005/10/14 written by 葵